2008年 5月23日 | |
■ メタボ ■ 今日は勤務先での健康診断の順番がしん吉にやってきた。 その健康診断も今では生活習慣病予防健診と 呼ばれるものになってからは自身2回目。 昨年は済○会病院へ行ったので今年は中○病院へ。 そういえば… 数年前まで… 朝食は抜きで昼飯はコンビニ弁当かカップ麺。 毎日毎日深夜の帰宅後の晩飯はおかずと焼酎。 家で米を食べる事は無く12時間毎に1日2食という 規則正しい?生活を数年間続けていた頃の検査結果は みるも無残に「要再検査」の項目が並んでいた。 しかし 2003年にめばるin関門を立ち上げる頃 ナイトゲームの機会が次第に増えると 晩酌をしている訳にもいかなくなった。 それまで10年以上も一年365日たとえ 風邪をひこうが熱があろうが体調を崩そうが 晩酌を抜いた事が無いのが自慢の一つだった。 15年以上も続けていた無欠勤も自慢だった。 継続は力なり(^_^; 2003年以降金曜日からの週末は晩飯の焼酎は堪えたが 釣行後にはその日の釣りを思い出しながら一杯二杯… そんな生活を送っていると… ある朝 突然 これまでに経験した事の無い 喘息の激しい発作に襲われる。 息苦しく全身を使っての呼吸。 しかし 息が… 息が… 思う様に… 吸えない… マジでヤバそう(>_<) 我慢するとか出来るとかじゃなく出勤前に何とか近所の病院へ。 診察を受けると同時に速攻で医者から看護婦さんに指示が飛ぶ。 口からの吸入、鼻からは酸素吸入、そして注射に点滴… 一度にいくつもの管が体に… そして… 何とか一命を?取り留めた(-_-; その後も何度か発作を繰り返し病院を変えてみるが 状況は変わらずアレルギーの原因もイマイチ解らず… この歳で喘息になるなんて(-_-) 色々注意事項を言われる中で 『お酒に誘われてもあまり飲まないように』 って事も言われたが 「十数年一度もお酒を抜いた事が無いんですけど…」 『良い事じゃないけど飲んでもどうもないのなら…』 でとりあえず毎日欠かさず飲み続けていた。 そして自分では飲酒が原因とは考えたくなかったが その後も激しい発作を引き起こしては病院へ… すると先生から… 『しん吉さん、死にますよ』 『発作が酷くなり呼吸が停止して10秒たつと…』 『もしも家族の人が気付かなければ死にます。』 マジ〜(>_<) それから夜になると布団に入るのが少し怖くなった。 もしもみんなが寝てる時に発作が出たら… 継続していた事を止めるのには抵抗はあったが あの喘息の発作の苦しさを考えると… それが死につながる可能性があると… 怖さに負けある日を境に晩酌を控える様になった。 それでも喘息の発作は治まる事無く続き 飲酒だけが原因じゃ無いと言うことは わかったが晩酌は暫くする事はなかった。 その結果 2002年には、GOT=37,GPT=50,γGPT=185 体重=73kg だった値が 2003年には、GOT=19,GPT=16,γGPT= 49 体重=70kg となって、 2004年には、GOT=15,GPT=10,γGPT= 29 体重=61kg となった。 自分でも驚いた。 そしていつの間にか喘息の発作も目立たなくなり 小さな気管支拡張剤で病院へ行く事も無くなった。 で、週末だけは昔の様に晩酌を楽しむようになった。 しかし今度は尿酸値に異常が現れた。 2005年 7.7 2006年 8.8 2007年 9.2 2008年 8.3 そして昨年の検査後… 痛風になりますよ(>_<) 過去に2度経験した尿路結石がそれを現している。 あの転げまわる程の痛みを伴う尿路結石よりも はるかに痛いと言われる痛風。 その想像を絶する痛みに脅えて2007年から プリン体の摂取を意識的に控える様にしたが 今年もその値はあまり改善を見られなかった。 めんどくさいな〜、予防は(^_^; いまじゃ気にせず飲んで食べて 体重は順調に増えて70kgオーバー(@_@) それから少しダイエットを意識して 何とか68kg台を取り戻したが… ヤバイんじゃない… メ・タ・ボ でも今年から始まったメタボ検診はセーフ! 約一週間の食事制限した効果が出たのかな? いや涼しい顔して腹筋にそ〜っと力を入れて いい感じでお腹を凹ますのに成功したから(^^; 悪かった結果は受け流し メタボを逃れてホッとした 今夜の釣行(^^) (やっと釣りの話題にこぎついた) もうそろそろアソコもええ感じやろ〜 と 暗闇に覆われる関門のポイントへ単独釣行。 釣れるパターンをイメージして 暗い海へキャスト!キャスト!キャスト! 細心の注意でボトムを攻めるのだが 魔のブレイクゾーンの餌食となり 2本目の特攻デフレが戦死したところで ギブアップ(-_-) メタボなアオリはどこじゃぁ〜 |
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